サマリー
今日、日本の大学教育は非常勤講師に大きく依存して成り立っております。とりわけ私立大学においては非常勤講師による授業数は専任教員に匹敵するような場合も珍しくありません。私たち京滋地区私立大学非常勤講師組合は、結成以来京滋の主要四大学と交渉を重ねてまいりましたが、いずれの大学も、表現はさまざまですが、非常勤講師が大学教育に必要不可欠な存在であることを認めております。
大阪及び京滋私大教連と京都私大連協による資料集 『近畿地区私大・短大労働条件等資料集2001年版』によると、近畿地域の私立大学では、1大学あたり専任教員と非常勤講師との比率は、おおよそ1:2であり、非常勤講師の中での専業非常勤講師(専任校を持たずに、大学非常勤講師収入を主として生活しているもの)の割合は、約5割に及び、専任数に匹敵します。しかし、各専業非常勤講師は、平均2.7大学を掛け持ちしていますから、おおよそ、900人が近畿地域の私立大学に、存在しているのではないかと思われます。
この度京滋私大教連の支援、協力によって、おそらくは日本で初めての大学非常勤講師の労働と生活の実態に関するアンケート調査を行うことができました。現在京滋地区だけでなく首都圏、阪神でも非常勤講師組合が活動しておりますが、大学非常勤講師の実態はまだまだ社会的に認識されていないのが実情です。大学院重点化によって非常勤講師予備軍は今後ますます増産されていくだろうと思われます。私たちは今回の調査によって、大学非常勤講師問題を、日本の高等教育がかかえる深刻な社会問題として大学に対しても社会全体に向けても提起したいと考えています。
今回の調査には自由記述欄を中心に、日頃表に出てきにくい個々の非常勤講師の生の声が数多く寄せられています。非常勤講師は経済的にも時間の上でも余裕がなく孤立しがちな生活を送っており、しかも雇用がきわめて不安定であることから、率直な発言がしにくい構造にあります。大学当局や専任教員のみなさんは、日常的に大学教育の現場でともに働いている非常勤講師のこうした思いに触れて、驚かれるかもしれません。とくに攻撃的な心情の吐露に対しては反発を感じる向きもあろうかと思います。しかしこれは厳しい状況におかれながら、発言の場が保障されていない非常勤講師の切実な叫びであり、この貴重な発言を是非とも誠実に受けとめてほしいと考え、できるだけ掲載しました。
以下に今回調査で明らかになった専業非常勤講師の実態を要約します。
専業非常勤講師の社会的職業上の分類は、専任教員と同等の資格を有する大学の教育労働者であり研究者です。したがって、非常勤講師採用時には、専任教員採用と同じく、研究業績や教育業績が求められます。従来、専業非常勤講師は専任教員になるまでの橋渡し期間であるかのように考えられていましたが、今や平均10.4年の勤続年数をもち、恒常的に存在する地位となっています。
まず、専業非常勤講師の労働者として働き方の面から収入や福利に至る実態をみると、専門分野によってばらつきが大きいのですが、芸術系以外はほとんど変わらず、週1コマ1ヵ月25,000円ほど(週1回90分の授業を月に4回ほど行って、月給25000円ほどの賃金)であり、平均週8.5コマの授業をこなし、月収はおよそ21万円、年収にして263万円です。専任教員はボーナス・研究費・私学共済大学負担分をいれると京滋の主要4大私学では、週平均5〜6コマ持っておよそ1200万円ですから、天と地の違いがあります。日本のあらゆる職業を含む民間労働者の年間平均給与461万円(1999年)と比較しても、専業非常勤講師の収入は、その6割にもならず、日本の賃金労働者の下層をなし、大学で教えている学生の大卒初任給以下の賃金となっています。そのなかでも、語学の講師はコマ数が10コマほどある人も多く、過密なスケジュールをこなして生活を支えている場合が多いのですが、専門科目の講師の多くはコマ数が5〜6コマと少なく、予備校や塾、その他さまざまなアルバイトをしなければ、とうてい生活できない状態にあります。
このような収入の低さに加えて重くのしかかるのは、社会保険問題と休暇等の労働条件の劣悪さです。私学共済加入は認められず、厚生年金・健康保険にも加入できず、紛れもなく労働者であるのに自営業者が加入する国民健康保険や国民年金に加入せざるをえません。それらの掛け金は、平均すると2コマ分に相当するので、加入していない人も13%存在します。病気休暇、産前産後休暇、育児休暇は、規定がないところが多く、あっても現職復帰や次年度の契約が保障されるとはかぎりません。
つぎに研究者としての状況ですが、専任であれば、研究室が与えられ、個人研究費、共同研究費、留学費用、学会費用、在外研究などの費用や時間が認められますが、院生に与えられる共同研究室はおろか、論文のコピー費用さえでず、非常勤講師は一切が自腹を切ることになっています。このため、生活を確保しようと思えば、収入をもとめて過重に働かざるを得ず、時間や費用を確保して研究しようとすれば、生活がなりたたないという板ばさみにあっています。「日常生活と研究生活の両立のための時間と体力のゆとり」は半数以上の専業非常勤がどちらもないと答えています。また、大学紀要への投稿は多くは認められず、認められても締めきり日等の情報が知らされない場合が大半です。
では、教育の面ではどうでしょうか。非常勤講師は、教育改革やカリキュラム編成会議から排除されています。経験を積んだ教育を担う現場担当者であるにもかわらず、教学に関してさえも部外者です。学生からのさまざまな相談にのる場所や有給の時間も保障されていません。
せめて、授業用のテキスト、教材、授業に必要な書籍ぐらいはその費用を出して欲しいと言うのが多くの非常勤講師の切実な要望です。語学の共通テキスト、学生に配布するレジュメ等の印刷物のみが与えられている限りです。授業に必要な書籍などは自前で購入する場合がほとんどです。また個人用ロッカーとメールボックス、授業準備のための充分な量の机の備えられた静かな部屋の設置は非常勤講師であれば誰もが望む共通したものとなっています。基本的に大きなソファとテーブルを持つ現在の控え室は談話室であり、狭く騒がしく、すみに少しある机がすぐ満席になる状態だからです。
以上のように、労働者として、研究者として、教育者として、具体的な条件としては、まともに大学にその存在を認められてこなかったことがおわかりいただけると思います。にもかかわらず、大学内においてさえ問題視されてこなかった原因のひとつに、非常勤講師の採用が担当の専任教員のさじ加減ひとつにまかされ、状態を問題視したり、文句をいうと来年の採用にひびくという、非常勤講師固有の事情があります。このため、雇い止め、コマ減の理由が不明確なままに闇から闇へほうむられたり、担当専任教員の横暴ともいえる人事に泣き自発的な退職にいたることも、珍しくありません。加えて女性の場合には、自立した労働者として認められず、扶養家族であるから非常勤がよい、あるいは、コマ減には優先させてあてるなどの差別がみうけられます。現在の多くの大学には、非常勤講師に関する採用や労働条件やトラブル解決手順の規定がなく、あってもきわめて不充分なものであり、担当専任教員の裁量にまかされている状態なので、非常勤講師としては、「いい子」にならざるを得ないわけです。そのことがまた、問題を隠蔽化してしまうという構造をつくりだしています。この改革のためには、労使協議の下で明確で公正な規定を各大学につくり、規定にしたがって誰の目にも明らかに処理する、近代化が求められているといえます。
わたしたちは、以上見てきたような非常勤講師の劣悪きわまる差別的賃金・処遇の改善を、昨今各大学で行われている大学教育改革の根幹にすえていただきたいと思っています。専業非常勤講師の窮状を放置し、大学教育を非常勤講師の疲れた精神や肉体から搾り出してささげる教育者・研究者としての良心や自負心にまかせることは、非常勤講師をさらに疲弊させ、ひいては、大学の質や日本の各界の研究レベルそのものをおびやかすに至ることは間違いありません。
多くの非常勤講師のみなさまには、弱い立場をかえりみず、勇気をもってじぶんたちの状況、つらい思い、せめてもの要求を語っていただきました。これによって、初めて非常勤講師自身の手により、「大学の恥部」ともいわれてきた非常勤講師の状態が社会に告発され、問題の所在を明らかにすることができました。この思いを一時的なものにせず、労働者、研究者、教育者としての誇りを失わずに、多くの社会的つながりを持ちながら、手を取り合って改革のために進みましょう。後輩のために、学生のために、そしてなによりも、真実を探求する研究者としての自分のために。